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【現代ビジネス研究所・研究助成金採択プロジェクト】『東京で識る東北』プロジェクト

【学生レポート】現地訪問(10)再び仙台へ、河北新報で震災被害と復興の現状を学ぶ

こんにちは!! 英語コミュニケーション学科3年の生田目咲(なまため・さき)です!

私たちが「東京で宮城を知ろう!」を出展する秋桜(こすもす)祭は、今週末の11月9日(土)と10日(日)に迫りました。

さて現地訪問最終日。女川と石巻でのグループ別の行動の後、仙台駅で合流した私たちは河北新報社の本社にお邪魔させていただきました。

 

(左は仙台駅、右は河北新報社の本社。仙台市は「杜の都」(もりのみやこ)と言われるように街中に緑がたくさんあります

 

仙台駅から歩くこと約10分。河北新報社に到着です。東北地方のブロック紙「河北新報」を発行しているこの新聞社は、本社が仙台市にあり、宮城県内に16か所の取材拠点を持つ他、東北6県の中心的な都市にも総局・支局を置いています。特に宮城県での普及率は70%と高い新聞社です。

そんな河北新報社で、私たちは防災・教育室の部次長で論説委員を兼ねる須藤宣毅(すとう・よしき)さんに今回の現地訪問の総括ともいえるお話をしていただきました。

とても濃い内容でまとめるのが難しいのですが頑張ってみます。

まず初めに私たちはクイズ形式で被害の大きさ、そして現状について知ることになります。東日本大震災での死亡者数、行方不明者数は1万8429名。現在も仮設住宅で暮らしている人、避難をしている人も多くいることを知りました。今回の現地訪問では復興が進み成功している例を多く見てきましたが、8年以上たった今も地方によっては復興が全然進んでいないのだと知ることができました。ここまで復興に時間がかかることからも被害の大きさがうかがえます。

(上の写真は河北新報社の本社内に掲示されている震災直後の様子)

 

では、どれほど被害が大きかったのか。河北新報の紙面で使われた写真を通して震災の被害について振り返りました。どれも心がいたくなるような写真ばかりでした。こんな混乱の中、河北新報社は何が起きているかわからない現地の方に情報を伝えるために、翌日から新聞を発行しました。日常と変わらない新聞が届くこと、把握できなかった被害状況の情報を得られたことから、多くの人々が励まされたそうです。ネット社会に生きる私たちですが、このお話を聞いて改めてアナログの新聞の素晴らしさに気づかされました。

今回の震災で、被害に遭わなければ続けられるはずだった商店の多くが廃業に追い込まれました。一方で、起業する人がいて、移住者が増えたり、被災地の活気に繋がっています。私たちが訪れたシーパルピア女川や仙台市郊外のアキウ舎、秋保ワイナリーなどもその一例です。

復興を機に新しい街づくりが進み、これからどんどん「楽しい」が詰まった東北に進化していくと思いました。東北は2011年の東日本大震災が風化せずに伝承の地として、また日本の新たな観光の地として活性化していきます。これからも私たちは東北の歩みに注目していきたいと思います。

最後に須藤さんのアドバイスを受けながら、ちょっとしたアクティビティーをしました。宮城県内の市町村について、私たちが被害の大きかったと思う順に並べてみました。このアクティビティーから、報道の内容によって私たちの被災地に対するイメージに差異があることを知りました。私たちが思い浮かべる被災地よりもさらに被害が甚大な地域があることをもっと多くの人に知ってもらい、支援が活発化していけば良いと思いました。

(真ん中が河北新報社防災・教育室部次長の須藤さん)

 

ニュースやこのプロジェクト活動を通して被害の様子を知っていたつもりだったものの、実際に震災を体験した人のお話を聞くのとでは感じ方が全く違うものでした。私たちが話を聞いた場所、訪れた場所でこのようなことが起きていたと再認識することで、改めて自然災害の恐ろしさを知ることができました。いつ予期せぬ災害が起きてもおかしくない今の日本で、助け合っていく事の大切さを身にしみて感じました。何年経とうが忘れ去られてよい災害はなく、全ての災害から私たちは教訓を得て前進していくのだと思います。

8年半以上たった今でも復興はまだまだ進んでいません。そんな現状をより多くの人に知っていただけたら思います。

(河北新報社を見学した記念にパチリ)

 

 

(英語コミュニケーション学科3年・生田目咲)