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【現代ビジネス研究所・研究助成金採択プロジェクト】『東京で識る東北』プロジェクト

【学生レポート】現地訪問(8)女川市場食堂、女川町観光協会、女川町まちなか交流館、シーパルピア女川

こんにちは。健康デザイン学科4年の後藤史帆(ごとう・しほ)です。メンバーで4年生は私だけ。前年のいわき湯本温泉活性化プロジェクトに続いて参加しています。

現地訪問3日目の朝、宿泊場所のホテル・エルファロを出発した私たちは徒歩で、復興工事が続く女川港を眺めながら、女川魚市場に向かいました。管理棟3階の「市場食堂」は2018年1月にリニューアルしたそうで、そこで私たちは刺身定食や海鮮丼で腹ごしらえをしました。

それから再び徒歩で女川駅方向に戻り、「シーパルピア女川」の海側に隣接する女川町観光協会にて、遠藤琢磨事務局長と、館員で「語り部」の阿部真紀子さんに震災時の様子や、現在に至るまでの取り組みについて話を聞きました。

(復興中の女川港。中央付近に津波で倒れたままの交番がある)

 

まず、観光協会の「女川町たびの情報館『ぷらっと』」で、震災直後の映像を視聴しながら、阿部さんの話をお聞きしました。

いただいた資料などによると、2011年3月11日14時46分に発生したマグニチュード9.0の大地震は、最大14.8メートル大津波となって女川湾を襲い、発生当時500人近い死者と600人を超える行方不明者を出しました。東日本大震災で被災した地域の中で、ここは壊滅的な被害を受けた地域の一つです。

ビデオでは、巨大津波が実際に建物をどんどん倒し、町を飲み込んでいく様子を見せていただき、言葉が出ませんでした。津波が町を襲っている最中は海底が見えるほど潮が引いていたそうです。私がテレビなどメディアを通してみるのは、津波が町に押し寄せている映像が多かったのですが、今回のレクチャーでは引き潮の映像も見せていただき、衝撃を受けました。

阿部さんが少し落ち着いて自宅に帰るころには、ニュースで被災地の様子がだんだんわかってきて、「石巻出身の夫がもう元の町の様子を思い出せないほど(石巻も女川も)変わり果てていた」そうです。このような震災当時の様子と、前の晩に泊まったホテル・エルファロや夕食を食べたシーパルピア女川の「今」を比較することで、この町が急ピッチで復興を進めていることを肌で感じました。

(観光協会でレクチャーを受けているところ)

 

それから、移動しながら遠藤さんに話をお聞きし、「女川町まちなか交流館」では町の模型や資料をもとに復興の現状についてレクチャーをしていただきました。女川町では復興まちづくりを進めるにあたり、「指揮をとるのは30代、40代のこれから女川町を担う人々に任せ、65歳以上の人は口出しせずに見守る」というルールを65歳以上の方が発案したそうです。

こうして若い世代が中心となって意見を出し合い、1000年に一度のまちづくりを目指しています。「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。人々は負けずに待ち続ける。新しい女川に住む喜びを感じるために」という、当時、小学生だった方の詩がとても心に刺さりました。

町には「女川いのちの石碑」が建立されています。震災当時、小学校卒業を目前に控えていた私たちと同世代の方々が「記憶に残す」ために発案しました。全ての人の命を守るために、21か所の津波到達地点よりも高い所に石碑を建て、リアルな痕跡と逃げるための目印を後世に伝えようとしています。

続いて、遠藤さんにシーパルピア女川を案内していただきました。シーパルピア女川には飲食店はもちろん、段ボール製品を販売しているお店(konpo’s Factory)やエレキギターの工場(GLIDE)等ユニークなお店もあります!とても前向きに復興を進められていることが分かりました。

 

(左は女川町まちなか交流館に展示されているパネル。右は遠藤事務局長にレクチャーを受けているところ)

 

この様子はTBC東北放送の記者の方に取材していただき、私たちがレクチャーを受けている場面や学生のインタビューがこの日の午後のローカルニュースで放映されました。移動中の私たちはその日は見られず、後で録画した映像を見せてもらいました。

(レクチャーを受ける私たちを撮影するTBC東北放送の志摩功一郎記者)

 

(これもTBC東北放送のニュース映像。私は前列の右端)

 

この後は、女川チームと石巻チームに別れて活動しました。私は女川チームで、先ほどのレクチャーで教えてもらった「女川いのちの石碑」に足を運びました。ここは、当時、魚市場で働いていた中国人の方々が避難した場所だそうです。石碑に掘られた同世代の方々のメッセージにグッとくるものがありました。
その後、昼食をとりに再びシーパルピア女川へ♪カフェ巡りをしたり、フレッシュジュースを飲んだりしました!特にフレッシュジュースは注文してから作ってくださるので、疲れた体には最高でした! 

(左は女川いのちの石碑。右はそこから見える景色)

 

(オレンジジュース。「相喜フルーツ」にて)

 

【感想】

私は震災当時中学1年生で、テレビで津波の様子や被災地の様子をみていました。衝撃的だったので今でも記憶に残っていますが、実際に現地に足を運んで映像をみたことで、自分たちがさっき歩いていた場所にも津波がきていたことに衝撃を受けました。女川町で宿泊したり、食事をして、とても綺麗で過ごしやすいところだと感じていましたが、それは女川町の住民の皆様が力を合わせて復興に取り組んでいるからだ、ということを感じました。震災当時から現在に至るまでの取り組みを聞いたり、町の方々とお話をして、女川の方々の前向きな姿勢に感動し、元気を頂きました。また、被災地の方は、東京の人、特に私たちのような若い世代に関心を持ってほしいと思っていることも感じました。現地に足を運んだからこそ学べた被災地の現状、そして、そこで生活する方々の想いを肌で感じることができました。私は同世代の中でも東日本大震災に関心がある方だと思っていましたが、私が知っている情報はほんの一部だったことが分かり、同世代に向けて情報を発信していく必要を強く感じました。今回の貴重な経験を今後の活動に活かしたいです。

(健康デザイン学科4年・後藤史帆)