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【現代ビジネス研究所・研究助成金採択プロジェクト】『東京で識る東北』プロジェクト

【学生レポート】現地訪問(5)石巻サイクリングの別コース、奥松島を目指したものの途中で予定を変更し、東松島市震災復興伝承館、KIBOTCHA

こんにちは。歴史文化学科2年の亀井絵梨香(かめい・えりか)です。
現地訪問2日目のメインイベントである、石巻でのサイクリング体験(地元では「海街ライド」と呼んでいるそうです)をレポートします。


(私が撮影したのでここには写っていません。残念!)

 

まず、私たちの班の5人は、石巻駅に近いホテルからからマウンテンバイクで東松島を目指しました。お目当ては奥松島の「嵯峨渓」(さがけい)と「大高森」(おおたかもり)です。松島湾の入口に浮かぶ宮戸島(みやとじま)と太平洋を臨む野蒜(のひる)海岸一帯をさすエリアで、冬でも暖かいそうです。宮城県の国際観光テーマ地区としても整備されているので、是非ともこの目で見たい!との思いでこの計画を立てました。

 

最初は「のんびり班」と名付けていたのですが、どうやら私たちのほうがハードワークであることが分かり、メンバーの中からも、その距離の長さと体力が持つかどうかを心配する声が出ました。そこで当日は、私を先頭にGoogleマップを頼りに自転車のペダルをただただ一生懸命に漕いで漕いで漕ぎまくりました。写真など撮っている暇などありません。前に進むだけです。

 

途中、大きなトラックが自転車スレスレに通る工場地帯(東日本大震災で津波被害に遭った日本製紙石巻工場のあたり)や、どれだけ経っても景色の変わらない川沿いを何十分、いや何時間?もかけて、ひたする自転車で進みました。ただ、途中で、航空自衛隊松島基地から飛び立ったブルーインパルスの編隊飛行を見ることができました。
陸前小野駅近くまで辿り着いたころがちょうどお昼時だったので、道路沿いにみつけた「SmileDining」というお店に入り、お昼ご飯を食べました。

 

(上がSmile Diningの外観。下がお店の様子です)

 

店内はアメリカンな雰囲気で1980年代年、90年代頃の洋楽でしょうか。オシャレな音楽が流れ、素敵なインテリアでとても癒されました。地元のお客様も次々とやってきます。メンバー全員、汗だくでお腹はぺこぺこ。1年生は、地元の名物である「のりうどん」(写真上)を、他のメンバーは「からあげ定食」(2番目の写真)や「チャーシュー丼」を注文し、私は「生姜焼き定食」(3番目の写真)を注文しました。

  

このお店はご飯とスープがセルフサービスなんです!なんだか新しい!!そして何と言っても全てのメニュー、値段が安いんです。1000円出してもお釣りが返ってきます。

(これはチャーシュー丼)

 

お店はとっても居心地が良かったのですが、嵯峨渓はまだまだ先です。のんびりはしていられません。「頑張るぞ!」とメンバーで強く意気込んで店を出ました。

さて、マウンテンバイクというものはひと漕ぎでかなり進む便利な移動手段ですが、メンバーのお尻がだんだんと悲鳴をあげていきます。お尻の痛みや夏の暑さと闘いながら、通りがかった「旧野蒜駅」に寄り道。ここはもともとJRの駅があった場所ですが、津波の被害に遭い、現在の野蒜駅はもっと内陸の高台にあります。
サイクリング旅の良さは、予定を変更して寄り道する気軽さが挙げられます! 建物の右側上の表示を見てください。震災当時、こんなところまで波が来たそうです。

旧野蒜駅は、今は「東松島市震災復興伝承館」となっています。津波で破壊された自動券売機が展示され、津波の威力や恐ろしさをを物語っています。私はこれを見た時、あまりの悲惨さに涙が出そうになりました。テレビでしか見たことのない、触れたことのない現実が、記憶の薄れていたテレビの中だけだった話が、こうして目の前に現れた時、無念さや絶望で、思考が止まってしまいました。つくづく自然災害というものは恐ろしく、人間は抗えないものなのだと感じました。

 

 
(上は破壊された駅の乗車券の自動販売機。下はその裏側です。)

 

さて、ここでメンバーと作戦会議です。残された活動時間は2時間。2時間後には、石巻へと戻らなければなりません。旧野蒜駅から嵯峨渓へは自転車で約1時間。そうなると往復で2時間、移動で費やしてしまうことになります。私たちは当初計画していたコースを諦めざるを得なくなりました。嵯峨渓にも、大高森にも行けません。

悔しい気持ちを抑えて震災復興伝承館のスタッフの方たちに付近のオススメスポットを聞いたところ、「震災により津波被害を受けた旧野蒜小学校跡地を利用した防災エデュテインメント施設がある」とのことで、そこへと向かいました。

その名も「KIBOTCHA(キボッチャ)」です!!

(これがKIBOCHA!!)

 

名前の由来は「希望」+「防災」+「Future (未来)」 を組み合わせたもので、防災をテーマに子供たちが楽しく学ぶことが出来るように、と名付けられました。宿泊施設も備わり「希望ある未来を発信する子供未来創造校」というサブタイトルが付いています。

 

私たちはまず、疲れた体を癒すべく「森のkitchen」へと向かいます。クリームソーダを飲んでゆっくり。

(写真の奥でほほ笑むのは現代教養学科1年の八田麻生ちゃん)

 

それからいろんな施設を回って見ました。中では、緊急災害時用 手動型洗浄機「きゃりーぴゅあぴゅあ」という機械が興味深く、実際に浄化された水が出る様子を見ることができ、ネーミングセンスも含め、とても面白いと思いました。

(英語コミュニケーション学科3年の生田目咲さんが、実際にきゃりーぴゅあぴゅあを使って浄化された水をだしています。)

 

さて、KIBOTCHAを一通り見終わると、あとは石巻へと帰るだけです。重い腰を上げてマウンテンバイクのサドルを跨ぎ、再び足をかけます。もうこの時点で、お尻が痛すぎてお尻にアザが出来たかも思いました。

 

帰り道、「アグリードなるせ」という野蒜の名物、「のびるバウム」の直売所がありお邪魔しました。全ての商品に試食が置いてありとっても満足です。米粉の味が個人的には、米粉の味が1番美味しかったです。

 
(写真上は「アグリードなるせ」の外観と「のびるバウム」の宣伝パンフレット。下はプレーン味の「のびるバウム」)

 

道中では、草木の生い茂る地図にない道に入ってしまったり、海が見たかったのに堤防が工事だったため、かなり自転車で走ったあと、一度も海を目にせず引き返してきたり、最後の最後で角度の険しい坂道が続くなど、、、沢山のアクシデントもありましたが、なんとか石巻にと帰ることができました。

 

計画通りにはいかない旅でしたが、とてもよい経験を得た、楽しい道のりでした。もう少し時間に余裕があれば、嵯峨渓や大高森にチャレンジしたかったです。

今回は、野蒜周辺の震災状況について、多く学べた旅になりました。前に書いたとおり、今ある現状、「リアル」を目の前にして、震災の記憶が風化する状況をどうしたら打破できるのだろうか、どうやったら多くの人が被災地に関心を持って復興に寄り添うことが出来るのだろうか、と考えるとともに、自分の無力さを痛感しました。

 

私は宮城に実際に訪れるまで、何も被災地のことを知りませんでした。正確には、「知ったつもり」でした。新聞やテレビ、その他SNSなどのメディアから得て、見てきたものはどこか他人事のような感覚を私に植えつけていました。遠い話、終わった話だと、勝手に決めつけて諦めていました。無知というものは恐ろしいです。何も知らないというのに、分かったような気にさせます。私は本当に何も知りませんでした。「思っていたより復興していたこと」と「思っていたよりまだ復興していなかったこと」が沢山ありました。

 

この宮城のプロジェクトを通して、どのような形になるかはまだ不透明ですが、東京の学生や、その親御さんなどに、被災地の「今」をリアルに伝えて、必ず復興に貢献したいと強く決意しました。

メディアなどで間接的に受け取る情報と、実際に目で見たり、被災者の方のお話を聞いたりするのではまるで違います。私がその架け橋になれたら、と今回の宮城合宿で思いました。


秋桜祭に向けての準備、頑張ります。
(歴史文化学科2年・亀井絵梨香)