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学園イメージソングプロジェクト

【コラム】みんなの心を一つにするスクール・ソング

昭和学園では2020年に迎えた学園100周年にあたり、様々な創立100周年記念事業を行ってきました。本プロジェクトではその一環として、学園一同の心を1つにする新しい音楽作品を生み出し、歌い継いでいくために昭和学園のイメージソングを制作しています。

 こんにちは、学園イメージソングプロジェクトです。
 学園イメージソングを制作する背景に、本学園がこれまで音楽と深い関わりを持ってきたという歴史的背景があります。これまで約9万人の卒業生が、さまざまな音楽を通じて心を一つにしてきました。
 今回は学園に残る史料を紐解きながら、学園と音楽の交わりについて明らかにしていきたいと思います。

 

[ 校歌は学園の心をひとつにする ]

 昭和女子大学の校歌が制定されたのは1926年(大正15)。初めて皆で歌ったのは上高田
での新校舎落成式でした。上高田とは、かつて昭和女子大学が位置していた場所です。

※昭和女子大学は文京区、中野区東中野を経て上高田に移転しました。現在の世田谷区太子堂に来たのは戦後のことです。

▲ MVには上高田のキャンパスも映っている

 
 光葉会(光葉同窓会の前身)の機関紙である「女性文化」には当時の加地いつ院長による校歌制定の経緯が記載されています。加地院長のことばを、現代の私たちにも届くようにかみ砕いて書いてみます。

「昭和女子大学での私たちの生活は”真心”の生活です。真心を表明し、真心を交換しています。
 教育とは、一つの真心が他の真心に触れ、うごくことです。
 私たちの間には、この真心たちの中に共通した理想があります。これこそが昭和女子大学の理想で、師弟の結縁です。それを表現したもの―”校歌”があれば、とずっと願っていました。それも、できればあまり昭和女子大と関係のないものではなく、学内で作れたらよいでしょう」

「女性文化」第1巻第5号(昭和3年9月15日発行)を基に

 加地院長は同書で、校歌を歌うことについて「一種崇高にして而も清雅なるよろこび」そして「私共はこれを歌ふことによつて、精神的結合の念を深くし且つ美しさを身にして覚ゆ」とも語っています。まさに校歌が学園をひとつにしてくれる喜びを示す象徴的な一節だといえます。
 

[ 学内で生み出された校歌 ]

 先の引用の通り、校歌は学内で作るべきだと強く願われていました。そして念願が叶い、作詞は昭和女子大学の創立者である人見圓吉が手がけました。作曲は、当時の国文学の先生の友人の作曲者だったとか。後年改めて作曲者とおぼしき人物を尋ねたそうですが、結局真実はわからずじまい。現在に至るまで作曲者は不明です。

(「昭和女子大学七十年史」平成2年5月2日発行より)


 

[ 音楽の力 ]

 その後も祝歌や寮歌など、さまざまな学園の歌を通じて人々は心をひとつにしてきました。
 音楽がもたらす力について、二代目理事長である人見楠郎は次のように述べています。

「昭和学園のように、入学式の最初から卒業式の最後まで、一日の始まりから夕べの鐘が鳴るときまで、一千人の若人の心と歌が美しく調和しながら学園生活をくりひろげることは素晴らしいことである。それのみでなく、学園を巣立ってから後も、喜びの訪れにも、疲れを患うおりにも、若き日のスクール・ソングが生活に潤いを与え、新しい力をくわえてくれるものであって欲しい」

―附属中学校・高等学校 歌集「巻頭言」より

 100周年を迎え、私たちは新たな学園歌「For Our Dreams」を生み出しました。この歌もまた校歌と同様、学内で作られました。学園の皆でフレーズを考え、歌詞を編み出したのです。そんな「For Our Dreams」も、私たちをひとつにし、新たな力を与えてくれると信じています。
 
 最後に、この「巻頭言」には次の興味深い一節もあることをご紹介しておきたいと思います。

「昭和で生まれた57曲のスクール・ソングが土台になって、年々さらに多くの学園歌が誕生してほしいものである」

―附属中学校・高等学校 歌集「巻頭言」より

 先人も、「For Our Dreams」の制作を後押ししてくれているような気がしてきませんか。

執筆:プロジェクトメンバー (職員T)